1. HOME
  2. 過去
  3. 私の経緯 兀突骨の過去 其の2
過去
とある人の若者

私の経緯 兀突骨の過去 其の2

過去

52

兀突骨の過去 其の1で過去を掘り下げていくに当たり、影響を受けた人&ルーツとして父方の祖父の話をしたので、其の2もその流れで書きたいと思います。

色々と書き足していたら、更新に5ヶ月かかりました。笑
次回からはもう少し密に更新します^^

因みに、”兀突骨の過去 其の1″はこちらから。
https://wu-tu-gu.jp/past01/

人生で影響を受けた人の中で、五指に入るのが母方の祖父である。

前回の其の1を讀んで戴いた方には、初めて”總會屋”というものを知った。笑

面白かった!良いね!◎◎さん(私)がそういう生き方なのが納得出来ました!
うん。面白いね!という声を多數の方から戴きました。

そして、過去篇 其の2は、母方の祖父ですよと豫告をすると、”母方のお祖父様も總會屋ですか?”という聲(こえ)が複數ありました。笑

面白いことにそうでは有りません。

端的に言えば、母方の祖父は、或る部分において父方の祖父とは真逆の人です。

真面目、実直、コツコツ、優しい、所謂、昭和一桁戰前生まれの人間味のある人でした。

母方の祖父は、福井の田舎町生まれ&育ち。
幼少期〜初等教育前半と小學校(尋常小學校かな?)で過ごすのと同時に、祖父の御兩親の意嚮で禅寺にも修行に行っていたと話を聞いたことがあります。

當時の禪寺は、とても嚴しい樣で、かなり色色と鍛えられたと生前、祖父は私に話しておりました。

祖父が生きた時代は、小學校にもなりますと、日本全國が戰爭ムード一色。所謂、教科書は黑塗りのものが使われ始め、外來モノの話をするの嚴禁な時代。
小學校の高學年にもなれば、竹槍で敵兵を殺す訓練も始まったそう。

中學校に入れば、そういった訓練に加えて、豫備軍的な位置づけに。訓練の時間も増えていきます。

祖父は、7人兄弟姉妹。男5人、女2人の次男。
長男である兄は、既に出兵。

いよいよ、祖父の代が出兵するぞいう話もちらほら出てきた辺りで、昭和20年8月15日。終戰です。
祖父は、福井の田舎にいたので、都会よりもほんの少し出兵が遅かったのかも知れません。

因みに、祖父の兄は戰爭で帰らぬ人に(厳密には、戰爭で怪我をして、痛み止めのヒロポンでヒロポン中毒になって死亡)。
なので、祖父は実質の長男として、兄弟姉妹を支えていかねばなりません。

そうして、若くして家業(農業等)を手伝ったり、コツコツと色々なところで働いていたそうです。

そんな中、祖父に大阪市の中小企業の娘と御見合いの話がやってきます。
これが、祖父の妻になる人、つまり私の祖母です。

今でこそ、福井縣のとある地域は、原發や眼鏡フレーム等で有名ですが、當時は優良な養子の産地。と言えば語弊がありますが、養子元として有名だった樣です。

浪速の関西商人からすれば、雪が積もる福井縣には、多くは語らないが實直に誠實に仕事をこなす男性が多く、養子と言えば、福井!と言われた程に有名だったと、後に祖母の姉から聞いたことがあります。

そして、祖父はけっこうイケメン、誠実、働き者の三拍子でした。

これで、順調にいけばハッピーなのですが、現実は小説より奇なりです。

過去篇 其の6ぐらいでリクエストがあれば書きますが、、、まず母方の祖母は、端的に言えば、びっくりするぐらい怠惰な人間です。笑

この時代の人で、家事や料理が出來ない人は珍しいのですが、祖母はびっくりするぐらい家事や料理をしないし出來ません。まあ、中小企業と言えども、社長令嬢で、甘やかされて育てて、教育に失敗したパターンですね。

後年、祖母の手作り料理を食べたことがありますが、カレーの中に、林檎が丸まる入っていたりします。

クッパと呼ぶ食べ物には、何故か生米が入っています。

あとビニールやトレイのまま材料が入っていることもしばしば。呆けてるのでは無く、白面(しらふ)でやるから怖いですね。

とは言え、當時のお見合いの席では其の樣なことは教えてくれません。
祖母の家族は一族總出で、祖母の魅力を3倍、5倍、10倍と嵩増しして推薦します。笑

祖母の見合い用の寫眞を見たことがありますが、正直、Photoshopも無い時代によくぞここまで仕上げたと、當時のプロカメラマンの腕とフィルムカメラの味には驚嘆します。

そして、大阪の百戦錬磨の商人と疑うことを知らない田舎の朴訥な家族ですから、結果は目に見えています。

そんなこんなで、祖父と祖母は結婚して、祖父は婿入り養子という形で大阪に引っ越して来ます。

そこからも色々とあった樣ですが、祖父にとって幾つか大きな事件をピックアップすると、、、
娘が生まれる。因みに1人娘で、これが私の母になります。

祖母の会社を継いで欲しいと、祖母の両親から依頼されるが最終的に斷ることに。

祖母には兄と姉がいて、兄は戰爭の影響で既に亡くなっており、姉は別の家で嫁いでおりました。

祖母の姉(大伯母)は、何でも口を出すのが好きな人で、マシンガントーク委員長タイプ。一切引くことを知りません。
あれやこれやと捲し立てるタイプです。

祖母の兄の息子も少し頭がおかしい人で、我が我がのタイプ。

そんな環境に疲れた祖父は会社を繼ぐことを辭退します。

祖母のの姉は、好奇心は旺盛で学習意欲は高いので、親戚で無かったら良い人だと感じたかも知れません。因みに、晩年は人が變わった樣に丸くなりました。

実際、その大伯母は、後年85歳を過ぎても、iPadを使い、TwitterやSkypeをしていた人なので、若いときから優秀ではあったのでしょう。
(因みに、この人の娘は、本当に無能で何も中身が無い、タチの悪い人でした。当たり屋的性格で陰湿、常時出鱈目を話す人です。)

といった親戚事情で、爭いごとが嫌いな祖父は後を継ぐことを辞退して、最終的に祖母の兄の息子(祖父の義理の甥)が会社を継ぐことなります。

結局、この甥もかなりのボンボンで、会社を数年後に潰してしまった話は、また別の機会にお話するかも。

婿入り&養子に入ってから会社が潰れるまで、祖父は本当によく働いていたそうです。数十人規模の製紙会社だったそうですが、従業員に任せることなく、朝の5時に会社に赴き、朝一番に会社のシャッターを開け、夜の9時まで働き、会社のシャッターをを締めて帰っていたそうです。

この辺りの話は、祖父の性格を非常に分かりやすく現しているなと感じます。
とにかく、真面目、真摯、誠実を繪に書いた樣な人でした。

また、おいおいお話しますが、私の母が早くに亡くなり、父親はキチガイだったので、この祖父に育てられたと言っても過言ではありません。

私が今も、特定のものや事に對して向き合うのは、この祖父の影響が強いと思います。

祖父は本當に良い人だったのですが、1人娘(私の母)が亡くなってからは元気が無くなり、性格もかなり變わってしまいました。

常に世間體を気にする樣になり、小言も多くなりました。

本當に健康で丈夫な人だったのですが、最後は心臓発作を何度か起こし入院して、”間質性肺炎”で亡くなりました。

後になって知るのですが、知人の医師等に祖父の最後を話すと、どうやら医療ミスの可能性が高かった樣で、色々と悔やまれる想いもあります。

そんなこんなで、二人の両極端の祖父の影響を受けた私。

ヤクザ事務所にトラックで乗り込む気概のある祖父、幼少期は禅寺で鍛えられ、コツコツコツと積み重ねを大事にした祖父。

彼らに羞じぬ樣な良い生き方をしていきたいと常々思います。

寫眞は、2020年10月。コロナ禍の逆境の中で、未来に生きる若者と自然。場所は南イタリアです。

それでは、また近いうちに。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。