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弟と鷹匠

兀突骨の過去 其の1

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私の過去について書きたいと思う。

實は(じつは)、今春に自分の持っているノウハウや知見をどういう形で情報発信しようかと悩み、今もお世話になっているWebの先生に色々と話したところ、
”◎◎さん(私)はどういう人生を歩んで来られたのですか?”と尋ねられました。

そういったことを突っ込んで尋ねてくる人は、今まであまりいなかったので、とても新鮮に感じたことを覚えている。

今まで、自分の人生はそんなに大したことの無いどこにでも有るような人生だと思っていたので、赤裸々に素直に話をしてみた。

すると、”◎◎さん、是非そのままの◎◎さんをWebで発信したら面白いですよ”と言われて、このHPのコンセプトが決まった。

”ほんまかい!と。そんな話を読む人がいるのか?”と正直思いましたが、素直に従ってみることにしました。

この先生の、小手先では無い人間味のあるアドバイスに、とても感謝しています。(お礼に過去篇の終わりにリンクを貼らせて戴きます。)

その先生にお話をした私の過去の一部を少し整理して大幅に加筆して書いてみるのが、この過去篇です。

◎生まれ
生まれは、大阪府のある郊外の街。よくある市立病院で雪の降る日に生まれたらしい。2月生まれだが、大阪の郊外では珍しい雪がしとしとと降った日。

両親は、母親は普通の専業主婦、父親は不動産会社の営業管理職。

母親の両親、つまり母方の祖母もお嬢様育ちの専業主婦、祖父は真面目なおじいちゃん。

父方の両親、つまり父方の祖母も少し変わった専業主婦、祖父は、よくいる髪の毛は紫色のおじいちゃん。



だと小さい頃までは思っていました。



うん?紫色の髪の毛!?と思った方は勘が鋭い。




実際に、なんかこの人達は癖のある人達だなと感じており、小学生の頃から徐々に疑問に思っていました。

もう60年以上前の話なので、色々と時効なので、そのまま書きます。祖父の話は、主に祖父が亡くなった後に父親から聞いた話を元にしています。
そのため、話半分で聞いて戴けると幸いです。

私の生き方に影響を与えているだろう一人目は、父方の祖父である。

端的に、父方の祖父は、かつては業界では有名な第一線の總會屋(そうかいや)だったらしい。

曰く、若い頃は、とある日本の大学から獨立したばかりの近畿の大学一期生の應援團(おうえんだん)。

いまでこそ、大学というのは大人しくなったものですが、学生闘争然り、昔の大学の應援團というのはヤクザさんも道を避ける程のやんちゃな人達の集まりだったそう。この大学に限らず、昔は人が死んでも金でもみ消せる時代だったそうな(と同じ大学の別のOBから聞いたことが有り)。

因みに、祖父は人は殺していないそうですが、随分やんちゃしていたそうです。

そんな祖父は、卒後、日本の右翼の創始者だったか、関西一の右翼&總會屋の方に鞄持ちとして弟子入り。その後、總會屋として獨立したらしい。
今で言うフリーランスの魁(さきがけ)だった様だ。職種は特殊で決して褒められたものでは無いが。

因みに、總會屋と言って通じるのは、今では60代以上の方が殆どになる時代になりました。

總會屋とは、株主總會からその言葉の由来が来ており、株主總會(の妨害や嫌がらせをする)屋さんという意味である。

主立った業務は、株主總會の妨害や嫌がらせ、地上げ、借金の取り立て代行、その他威圧行為全般である。

暴対法や辯護士法の改正や強化、社会輿論等により總會屋の時代は昭和で消えました。

昭和30年代、戦後から高度経済成長期に移行する混沌の時代。仕事の需要はかなり有った様で、仲間もいたらしい。

基本的に、この祖父は常にフリーランスとして一人で活動して、仕事をする訳だが、仕事柄、当然トラブルは多々ある。

祖父の逸話として、こんな話を聞いたことが有る。

そのときの依頼案件は、ヤクザ事務所の地上げ。現役第一線のヤクザが事務所として使っている場所を立ち退かせるのが仕事。

僕はヤクザ業界の話は全く知らない素人だが、基本的にヤクザというのは組や派閥単位の看板を背負っているため、ヤクザ対ヤクザの場合、勝手なことが出來なかったりするらしい。なので抗争に至らない様にするため、名目上、外部の人間を雇って対外活動を行うことがあるらしい。そういったとき、總會屋の出番も来るとか。

或る日、祖父はトラックにてヤクザ事務所を一人で強襲。
所謂、映画とかでありそうなトラックでのカチコミというやつである。

腹にはダイナマイトを巻き(よく突撃の衝撃で爆発しなかったな)、ドスを持って単騎ヤクザ事務所へ。

ドン!バーーン!!!バリバリ!!と大きな音が鳴り響く。

当然、祖父の周りには、拳銃やドスを持った組員に囲まれる。
『ワレ、どこのもんじゃー!!!!』
(意訳:あなた様は、どこのヤクザ事務所から来られたのですか?)

『おどりゃあ、ぶち殺すぞ!!!!』
(意訳:あなた様を殺してしまいますよ。)

『ワレ〜、帰れると思うなよ。ボケ!!!』
(意訳:あなた様は、安易に帰宅できると考え無い方が良いですよ。)

『どこの鉄砲玉や!!!』
(意訳:あなた様は、どこの組織から派遣された突撃暗殺要員ですか?)

等々と、怒号が飛ぶ。

それに対して祖父は、
『じゃかわしいわ。ワシはフリーランスや。』
(意訳:五月蠅いですね。私はフリーランスですよ。)

『殺れるもんなら、殺ってみい!!!』
(意訳:私を殺せるものなら、殺してみてください。)


と答えるものだから、そりゃあもう
『おどれ、なめくさっとんか!!!!』
(意訳:あなた様は、私どもの組をお舐めになっているのですか?)

『ぶち殺したる!!!』
(意訳:あなた様を殺してしまいますよ。)


等々、普通ならその後、大阪湾に沈むのが定石である。


ところが、どうもこの鉄砲玉らしき男、妙に落ち着いているし、下手に殺して安易に組同士の抗争にするのもまずいと思った先方の責任者。

ということで先方ヤクザさんの責任者が祖父に連絡がつく人間に電話をさせる。

責任者の方曰く、
『誰に電話したんや???』
(意訳:あなた様は、どなたに電話しているのですか?)

祖父曰く、
『ワシのマブや!!!』
(意訳:僕の親友の人間です。)

で、責任者の人に変わる。

『もしもし、あんた誰や?あんたとこの鉄砲玉がウチの事務所にかちこんで来て、、、、』
(意訳:あなた様はどちらの方ですか?あなた様の遣いの人間がうちの事務所をご訪問されていまして、、、、。)


結論から言えば、祖父の親友は、関西で有名なヤクザの組の幹部だったらしい。
(当時、殺しの軍団と恐れられていた組。50年以上も前に既に解散済らしい。wikiより)

祖父はヤクザでは無かったが、親友からのフォローも有り、無事に解放。

後日談として、その親友の方から笑いながら、こう言われたらしい。
『◎っちゃん(あだな)、あのときワシに電話に出んかったら、今ごろ海に沈んでたで〜(笑)』
(意訳:◎◎よ。あのとき私が電話に出なければ、貴方は今頃海の中でおねんねでございましょう。)


それに対して、祖父は
『そらあ、困るなあ(笑)』
(意訳:それが現実でしたら、大変こまりますねえ。笑)


最後の返しが何とも祖父の性格を物語っている。


因みに、祖父がご訪問した先方の事務所は、”平和裏に”立ち退きがされたとかされなかったとか。

この話を聞いたのは、祖父が亡くなった後の中学の終わりか高校の始めぐらいだった気がする。

因みに、この祖父は僕が中学3年生の頭ぐらいに亡くなったと記憶している。
亡くなった原因は、抗争では無く、持病の喘息をキッカケとした窒息死であった(僕が生まれる前に既に總會屋は引退していた)。

因みに、借金を8000万円を殘して死んだ。
全て博打(花札、株札等)で作った借金だ。

その借金は、父親や父親の兄弟達が、相続放棄等して整理していた様に思う。
(何しろ、20年以上前の話であるので、あまり正確には覚えていない。)


波瀾万丈な祖父らしからぬ死であったが、人間死ぬときは一瞬で死ぬ。
昨今のコロナ禍などもそうで、人の生き死には時折大いなる力が働いてるかの様。あっけなく死ぬ。

そんなこんなで私もこの歳になると、祖父と話がしてみたくなるときがある。

私が知っている祖父は、僕が小学生の頃、祖父や祖母が住んでいる家に遊びに行くと、
『何でもこうたる、こうたる』
(意訳:貴方に何でも買ってあげます。買ってあげます。)
と口癖で言う人だった。


実際には、何でも買ってくれた記憶は無く(笑)、いつも何故かビックリマンカードを何十枚もくれる人だった。
当時、僕はさほどビックリマンに興味は無く、無碍に斷るのも悪いので、とりあえず貰っておいた。

そのビックリマンカードも後述する引っ越しの際に全て紛失したのも悲しい話だ。

今、取っておけば高値で売れたかも知れない。笑

冗談はさておき、祖父の生き方が正しいかったかどうかは、僕から断言しづらいし、褒められた話で無いかも知れないが、少なくとも己の生き方を貫いた人であったと思う。

戦争を經驗し、白と黒がごっちゃになった時代を生き抜いた祖父。
人情や情緒を知る最後の日本人世代。

基本的に、私は、他の専門家からも、そこまで徹底してやるのね!相当、研究しているね!よくそこまで幅広く調べているね!と驚かれることもあるが、
その辺りは、この父方の祖父と後述する母方の祖父の影響が強い様に思う。

この祖父の影響で、自分の生き方をとことん貫くことの大切さを學び、そのエネルギーは良きことに使おうと決意出來たと思う。

さて、父方の祖父の話が長くなってしまったので、続きは追って書くことにする。

まず、ここまでお讀みいただき有り難うございます。

【注意】尚、上記の祖父にまつわる話は、少なくとも50年以上前の話であり、私自身や当ブログは反社会的勢力とは一切関係はございませんので、御安心ください。

※寫眞(しゃしん)は、2019年1月のモンゴルの厳冬期の東の極地。外はマイナス40度。左の人物がこの祖父だったら話としては面白いのですが、現地の鷹匠です。でも、右の人物實(じつ)の弟です。

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